仙台高等裁判所 平成6年(ネ)32号 判決 1997年2月07日
控訴人
宍戸良広
右法定代理人後見人
宍戸良見
右訴訟代理人弁護士
織田信夫
被控訴人
渡辺健一
同
渡辺多津子
右両名訴訟代理人弁護士
清藤恭雄
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人らは、控訴人に対し、各五〇〇万円及びこれに対する昭和六三年五月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
四 この判決は、右二について仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 当事者の求める裁判
一 控訴人
主文同旨
二 被控訴人ら
1 本件各控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二 事案の概要
一 本件は、被控訴人らの二男である渡辺美海(以下「美海」という。)の運転する自動二輪車の後部座席に同乗中に発生した交通事故により、控訴人が傷害を負ったとして、美海の相続人(両親)である被控訴人らに対し、不法行為に基づき、右傷害によって被った損害(慰謝料)の一部として各五〇〇万円(合計一〇〇〇万円)とこれに対する右交通事故発生の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、これに対し、右自動二輪車を運転していたのは控訴人であるとして被控訴人らが争っている事案である。
二 争いのない事実
1 昭和六三年五月三〇日午後一〇時二〇分ころ、宮城県名取市高舘吉田字舘一二番地先道路を走行していた控訴人の兄宍戸良之所有の自動二輪車(以下「本件二輪車」という。)が進路右側の道路脇の用水路(以下「本件用水路」という。)に転落するという事故が発生した(以下「本件事故」という。)。
2 本件二輪車は、美海と控訴人のどちらかが運転し、他の一人は後部座席に同乗していた。
3 本件事故現場付近は、別紙交通事故現場見取図(以下「別紙見取図」という。)のとおり、仙台バイパス方面から西進した本件二輪車の進行方向にやや左カーブしているところ、本件二輪車の運転者は、制限時速を超え、前方注視を怠って進行した過失により、本件事故を惹起させたものである。
4 本件事故によって、美海は死亡し(被控訴人らが相続)、控訴人は、脳挫傷等の傷害を受け、神経系統の機能及び精神に著しい後遺障害を残し、常時介護を要する状態になった(平成四年八月二〇日、禁治産宣告の裁判確定)。
三 争点
本件の争点は、本件二輪車を運転していたのが美海なのか、あるいは控訴人なのかという点にある。
四 証拠関係は、原審及び当審記録中の各書証目録及び証人等目録記載のとおり
第三 当裁判所の判断
一 証拠によれば、以下の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
1 控訴人と美海は、同じ中学に在学していた友人同士で、当時高校二年に在学(別の高校)中であり、控訴人は自動二輪車(中型限定)の、美海は自動二輪車(小型限定)の運転免許を受けていたが、美海は、昭和六三年五月二五日から同年六月二三日までの三〇日間、運転免許停止処分中であった(原審証人森邦博、同我妻利明、同宍戸みつ、原審における被控訴人渡辺多津子(当時は「渡辺たつ子」、以下同じ。)本人、原審における岩沼警察署長に対する調査嘱託の結果)。
2 昭和六三年五月三〇日午後九時一五分ころ、美海は、本件二輪車に乗って自宅に来た控訴人と共に、本件二輪車の後部座席に同乗して名取市内に出掛けた(原審における被控訴人渡辺多津子本人)。
3 控訴人と美海の共通の友人である森邦博は、同日午後九時二〇分ないし三〇分ころ、名取駅前付近の路上で、控訴人らに呼び止められたが、その際、美海が本件二輪車を運転し、控訴人は後部座席に同乗していた(両名ともフルフェイスのヘルメットを着用していた。)。森は、控訴人、美海と共に付近のラーメン屋に行き、さらに美海を店内に残して控訴人運転の本件二輪車の後部座席に同乗して付近をしばらく走行してもらった後、右ラーメン屋に戻り、控訴人と美海から、付近の居酒屋へ飲みに行かないかと誘われたが、これを断り、同日午後一〇時過ぎころ、控訴人らと別れて帰宅した(原審証人森邦博)。
4 当時、岩沼警察署交通課交通事故係長であった我妻利明は、本件事故の捜査の過程で、右ラーメン屋の経営者佐藤治男に対し、控訴人らが同店を出た際、控訴人と美海のどちらが本件二輪車を運転して行ったかを尋ねたところ、運転して行ったところは見てもいないので分からないが、店の中から、美海が本件二輪車のかぎを持って行って、スイッチを入れたところを見た旨の答えを得た(原審証人我妻利明、原審における岩沼警察署長に対する調査嘱託の結果)。
5 本件事故現場付近の状況は、別紙見取図のとおりであり、同図中、本件用水路が道路の下を南側から北側に交差して流れている部分の東側にガードレールが設置されているが、それ以外の部分には道路と本件用水路を遮る工作物は無かった(甲一四、乙五。原審証人我妻利明の証言によれば、本件事故の後、道路と本件用水路の間に柵様の工作物が設置されたことが認められる。)。
道路北側端には、別紙見取図のとおり、右ガードレールの途切れた辺りから、西方に長さ約三メートルのタイヤ痕が残っていた。なお、同図のとおり、タイヤ痕に続いて、このタイヤ痕よりも長い痕跡が印され、その終端は、わずかに本件用水路の方向に向かっている(甲八の二)。
本件用水路の底部は、道路面から約1.9メートル下方にあり、水深は約三五センチメートルで、本件二輪車が転落した場所の西側には、別紙見取図の「本件用水路の断面図」記載のとおり、橋状の構築物で流れが遮断され、ここを円筒状のヒューム管による溝が設けられ、その中を水が流れるようになっている(甲八の二)。なお、原審証人三浦政幸は、本件用水路の水深が一メートル前後であった旨供述する。しかしながら、同証人は、本件用水路に転落していた控訴人らを救出した名取市消防署の救急隊員であるが、その供述によれば、控訴人と美海は、本件用水路の中に横に倒れ、その上に本件二輪車が乗っているような状態であり、一人の口元辺り、他の一人の首辺りまでが水に漬かり、同証人は長靴を履いて本件用水路に降りていったというのであるから、このような状況は、水深が一メートル前後もあるということと矛盾すると言わざるを得ず、約三五センチメートルという水深が、本件事故の直後(同日午後一〇時四五分から翌日午前零時三〇分まで)に警察官によって行われた実況見分の結果に基づくものであることを併せ考えると、少なくとも水深に関する同証人の右供述部分は採用することができない。
以上のほか、ガードレール、本件用水路周辺や道路上に、本件事故と関係すると思われる破損や痕跡があったことをうかがわせる記録はない(甲八の二、原審証人我妻利明)。
6 本件二輪車は、本件事故後に見分されたが、左側サイドミラー破損、前部泥除け破損、左後部ウインカー破損といった破損状況であったほか、走行装置や制動装置に異常はなく(甲八の二)、他に破損や異常があったことをうかがわせる証拠はない。なお、乙一九(被控訴人らが訴訟外で依頼した東北大学工学部教授梶谷剛作成の鑑定書)には、本件二輪車は、エンジンマフラーを違法に改造して馬力を向上させたものである可能性が高い旨の記載があるが、このような改造があったことを認めるに足りる証拠はない。右乙一九は、改造の根拠として、被控訴人渡辺多津子作成の陳述書(乙三)の記載を指摘するが、この陳述書の内容は、控訴人が美海を迎えに来たとき、「オートバイの物すごいエンジンの音がしてきた」というものである。この記載だけから、本件二輪車に右のような改造があったことを認めるのは困難であり、当時運転免許停止処分中であった美海が、前記のとおり、名取駅付近の市街地を改造による爆音を響かせながら走行してラーメン屋に行ったということも不自然である。
7 名取市消防署の救急隊員である三浦政幸は、本件事故後の午後一〇時二三分に通報を受け、同隊員の今野義孝、星有二と救急車で出動し、午後一〇時三〇分に本件事故現場に到着した。現場の本件用水路中には、別紙見取図のとおり、水路の円筒状の溝の東側手前に本件二輪車が前部を西側に向けて倒れており、その下に足があるような状態で、同図①の位置に美海が、②の位置に控訴人が、仰向けに北側に寄り掛かるような状態で倒れていた。
三浦らは、直ちに控訴人と美海を引き揚げ、午後一〇時四四分、現場を離れ、岩沼市内の南東北病院に向かった。その際、控訴人は意識がなかったが、美海は意識があったため、三浦らは、美海の住所氏名を聞いたり、激励のために声を掛けたりした。午後一〇時五五分、救急車は南東北病院に到着したが、ここでは、全く意識がないために重体と判断された控訴人のみを同病院に収容し、美海を仙台市太白区内の仙台赤十字病院に搬送すべく、午後一一時一五分、南東北病院を出発した。しかしながら、途中で美海の容態が急変したため、名取市内の大山外科医院に向かったが、午後一一時三三分に同医院に到着したときには、美海は既に死亡していた。その間、三浦らから無線で連絡を受けた名取市消防本部は、美海の自宅に、午後一一時二〇分には美海を南東北病院に搬送する旨、午後一一時三二分には仙台赤十字病院に転送する旨を電話で連絡した(甲八の二、一二の一ないし四、原審証人三浦政幸、同我妻利明、原審における被控訴人渡辺多津子本人)。
8 南東北病院の控訴人の診療録中、五月三〇日午後一〇時五五分の欄には、「四〇〇ccバイク走行中、二m(幅)位の側溝に飛びこんだ。後部座席にいた。(水の中に入っていた。)」との記載がある。また、同病院の控訴人の入院記録中の昭和六三年五月三〇日付け「現病歴」と題する記録には、「バイク走行中に約二m下の側溝に転落した。二人乗りで後部座席にいた。」との記載があり、同記録中の五月三〇日の欄には、「(バイク走行していて二m位幅の側溝におちた。後部座席にいたという…)」との記載がある(甲九、一〇)。
9 控訴人は、平成元年一月一三日まで南東北病院に入院したが、同病院では、脳挫傷、頭蓋底骨折、四肢打撲、消化管出血、肺挫傷、右橈骨下端骨折等の傷害を負ったとの診断を受けたほか、平成二年七月四日、右膝関節及び右足関節の手術を受けている(甲三、四の二及び三、六、九、一〇)。
美海は、死亡後に鑑定処分許可状に基づき、東北大学において司法解剖され、鑑定受託者勾坂馨作成の鑑定書には、おおむね次の記載がある(甲一六)。
(一) 第四ないし第九肋骨骨折があり、これは背部右側にこれら肋骨が連続して骨折するような外力(平板状の鈍体が打撲的に)が作用したものと考えられ、この肋骨骨折端による肺損傷がある。
(二) 脊椎の過前屈によって生じたものと考えられる椎骨損傷がある。
(三) 頭部に外力が作用して生じたものと考えられる脳クモ膜下出血があるが、顔面・頭部にはこれといった損傷はなく、右(二)の過前屈時に頭部にも衝撃が及び、これによって生じたものと考えられる。
(四) 背部上部の左右に長い三〇×数cmの範囲には、上下又は上左から右下に走る線状―帯状の表皮剥奪が多数並んでいるが、これは稜状の鈍体が上下又は上左から右下の方向に打撲的に作用して生じたものと考えられる。
(五) 左大腿骨骨折があるが、この部分の皮膚に表皮剥脱などの損傷が認められないので、他の部分(足や骨盤など)に外力が作用して生じた間接骨折と考えられる。
二 右認定の事実に基づき、本件二輪車を運転していたのが控訴人と美海のいずれかであるかについて検討する。
1 まず、前記一1及び2認定の事実のみで判断を下すことはできない。原審における被控訴人渡辺多津子本人(その陳述書である乙三を含む。)は、美海は運転免許停止処分中であり、バイクには乗っていなかった旨及び控訴人が美海を本件二輪車に乗せて行ったことを根拠に、本件事故当時、本件二輪車を運転していたのは控訴人である旨供述するが、前記一3認定のとおり、控訴人と美海は、美海方を出た後、交替で本件二輪車を運転していたことが明らかであり、同被控訴人の供述を採用することはできない。むしろ美海は当時運転免許停止処分中であり、しかも一二五ccまでの自動二輪車の運転に限定された運転免許しか受けていないのに、自宅を出発して家族の目から離れた後、他人の所有である本件二輪車の運転をしており、三九〇cc(甲四の四)という比較的大きな排気量の本件二輪車の運転に積極的であった印象が強い。そして、前記一4認定の事実によれば、ラーメン屋を出た後も、美海が本件二輪車を運転していたことがうかがわれるのであり、これは、判明している目撃状況のうち本件事故に最も近接した時点では、本件二輪車を美海が運転していたことを認める事実ということができる。
2 前記一8認定の事実によれば、南東北病院では、控訴人が搬送された直後ころに、控訴人が本件二輪車の後部座席に同乗していた(すなわち美海が本件二輪車を運転していた)との情報を入手していたことが認められる。右認定の各記録の記載時期、記載内容、記載数から考えて、他の者からその旨を聞くなどしてかかる情報を入手したものと理解するのが自然であり、同病院関係者だけの推測と考えることは自然とは言えない。
ところで、原審における南東北病院に対する調査嘱託の結果によれば、右記録の記載の根拠は不明であり、控訴人を搬入した救急隊員からの情報と思われるというのである。確かに、その記載時期から考えると、救急隊員からの情報と考えるのが最も自然と考えられる。ところが、その救急隊員の一人である原審証人三浦政幸は、南東北病院でどちらが運転をしていたかというようなことを言ったことはないと供述している。
しかしながら、三浦証言によれば、三浦らが美海を救出して救急車に運び入れたとき、美海は意識があり、三浦らは美海の住所氏名を聞いたりしたというのであり、前記一7認定のとおり、名取市消防本部は、三浦らから無線で連絡を受け、美海の自宅に電話で連絡しているのであって、これは三浦らが美海から住所氏名を聞いたという事実に符合する。そして、同証言によれば、三浦以外の救急隊員が救急車内で美海と話をしていたことを認めることができるから、この者が美海から、本件二輪車を運転していたのが美海である旨を聞き、これを南東北病院において患者に関する情報の一つとして述べたと推認することが十分に可能であり、このような事実があったことを強く推測させる(それ以外に南東北病院の記録の記載を合理的に説明できる事情は見当たらない。)。
3 原審における岩沼警察署長に対する調査嘱託の結果、原審証人我妻利明の証言によれば、岩沼警察署では、本件二輪車を運転していたのは美海であると判断したことが認められ、その根拠として、第一に、本件二輪車は、本件用水路の中で、路外逸脱前の進行方向を向き、右側を下に横倒れになっていて、運転席付近に美海、後部座席付近に控訴人が転倒していたこと、第二に、本件事故直前の午後一〇時一〇分ころ、ラーメン屋を出た控訴人らのうち、店舗前に駐車していた本件二輪車のスイッチを美海が操作していたこと、第三に、司法解剖の結果判明した美海の左大腿骨骨折は、骨折部位に直接外力が加わって生じたものではなく、間接的力が加わって発生したと考えられ、本件二輪車が左にカーブ仕切れず、一時的に左足が路上に残り、身体は車体と共に転落したために無理な力が左足に掛かり、このような骨折が生じたと考えられるところ、車体に乗車状態において、運転席では容易に左足が路面に着くが、後部座席は高い位置にあるために乗車状態で着地することが困難であること、本件事故現場の路外逸脱の場所に美海の左靴底(接地面)が強く擦過した痕跡が認められ、靴にも同様に擦過した痕跡が認められたことなどを挙げている。
右の岩沼警察署の判断の基になった資料の多くは、本件事故が不起訴処分になったため、本訴の証拠として取り調べることができず、同警察署の判断のうち証拠によって確認することができない点については、これを直ちに採用することは困難である。特に、路面上の靴の痕跡、美海の靴の痕跡については、これを客観的に明らかにする証拠がなく、また、遺留された靴が美海のものであるか否かに関する原審証人我妻利明の証言にも不明確な点が見受けられる。
しかしながら、右の判断根拠の第一、第二の点は、前記一認定の事実に符合し、第三の点のうち美海の左大腿骨骨折の事実に関する推定は、前記司法解剖における鑑定の結果(甲一六)を説明するものとして、特に不自然なものとは言えない。
4 以上を総合すると、控訴人が本件二輪車を運転していたことを示す事情はうかがわれないのに対し、美海が本件二輪車を運転していたとの強い疑いがあるということができる。
三 以上のほか、当審においては、工学的鑑定を実施し、訴訟外で作成された鑑定書も提出されたので、これらを踏まえて更に検討する。
当審における鑑定人樋口健治の鑑定の結果(平成六年一二月三日付け鑑定書のほか、平成七年七月二八日付け意見書及び同年九月八日付け意見書の補充書を含む。以下「樋口鑑定」という。)は、本件二輪車を運転していたのは美海であるというものである。一方、被控訴人らが訴訟外で鑑定を依頼した梶谷剛作成の平成七年六月七日付け鑑定書(乙一九)及び平成八年一月二九日付け意見書(乙三一)(以下、これらを「梶谷鑑定」という。)は、本件二輪車を運転していたのは控訴人であるというものである。
1 樋口鑑定の結論的部分の内容は、大要次のとおりである。
(一) 本件二輪車は、別紙見取図のガードレールの辺りで急ブレーキを掛けようとし、ブレーキの効果が現れてタイヤ痕を残し始め、同図のタイヤ痕の西端辺りの位置で前輪が路肩から転落し始め、エンジン下部の金属部分が路面に擦過痕を残し、この擦過痕の終端付近では車体全体が本件用水路に落下し始め、この地点と同図の「バイク転倒地点」という記載の付近の間で車体が本件用水路の底に着地し、橋の下部の側壁に衝突し、同図のとおりの位置に停止、転倒した。以上が推定される本件二輪車の動きである。
(二) 本件二輪車の運転席の乗員は、本件二輪車前部が橋の下部の側壁に衝突したことにより、前のめりになって車体の風防に胸を打ち付け、頭部は橋の下部の側壁に激突し、腹部から骨盤部はハンドル・バーに強打された。また、後部座席の乗員は、運転席の乗員の背面部に胸部を激突させ、頭部は橋の下部の側壁に激突した。以上が本件二輪車の乗員の状況である。
(三) したがって、本件二輪車を運転していたのは、別紙見取図の①の位置に転倒していた者すなわち美海である。
2 一方、梶谷鑑定の結論的部分の内容は、大要次のとおりである。
(一) 本件二輪車は、本件事故現場の左カーブを曲がり切れず、浅い角度でガードレールに衝突した。この衝突では、車両自体はガードレールに直接接触しなかった可能性があり、ガードレールに最初に衝突したのは、ハンドル、運転者の右手、右肩、右膝及び右側頭部であり、後部座席の同乗者も同様に頭部と肩口に打撃を受けた。
(二) ガードレールへの右衝突の後、後部座席の同乗者は、しっかりつかまる手懸かりの無いまま、慣性によって、かなりの速度で前方に投げ出され、その際、ガードレールの西側の角で背中を打ち、椎骨骨折と肋骨骨折が起きた。その後、この同乗者は本件用水路の中に着水した。本件二輪車は、最初の衝撃の反作用で左側に転倒しつつ本件用水路に転落し、本件用水路内に横たわっていた後部座席の同乗者の上に落下し、左足の大腿部に打撃を与え、腹部にも強圧を加えた。
(三) したがって、本件二輪車を運転していたのは、控訴人である。
3 以上のように、結論の全く異なる二つの鑑定の内容に関する右認定は、鑑定内容のすべてを表しているものではないものの、本件二輪車の動きに関する基本的な捉え方を示しているものである。
四 当裁判所は、前記一認定の各事実を前提に考えると、梶谷鑑定の結論を採用することは困難であり、樋口鑑定の結論を採用すべきものと判断するが、その理由は、次のとおりである。
1 梶谷鑑定は、本件二輪車の運転者は、ガードレールに右手、右肩、右膝及び右側頭部を衝突させたと推定している。確かに、前記一9認定のとおり、控訴人は、右橈骨下骨(手首の部分)、頭蓋底を骨折し、右膝関節及び右足関節の手術を受けており、この損傷と右のガードレールとの衝突との推定は符合するかのようである。
しかしながら、控訴人の右膝と右足の手術は、本件事故から二年以上経過した後に行われており、本件事故の際のガードレールとの衝突によって生じた損傷を治療するための手術としては、時期的に遅すぎる。加うるに、前記一9に挙示した各証拠中に、本件事故直後にこのような右膝等の損傷が存在していたことを認めるに足りる証拠はない。また、証拠(甲一〇)によれば、本件事故の約半年後である昭和六三年一二月七日には、脳挫傷の後遺症としての強直性関節炎の発症が認められ、むしろこれに関係する手術であった可能性の方が高い。
また、梶谷鑑定によれば、本件二輪車の運転席の高さは地上から約八〇センチメートル、後部座席の高さは地上から約九〇センチメートルであり、ガードレール上端の手すりの高さが約一メートル強なので、前記のように運転者の右手、右肩、右膝及び右側頭部がガードレールに衝突したというのである(乙一九)。
しかしながら、もしそのとおりであるとすれば、運転者は、左カーブを曲がり損ね、ガードレールが目前に迫っても、なお座席から一〇ないし二〇センチメートル上の低い位置に右手、右肩、頭部が並ぶような姿勢を続けていたことになるが、これは不自然と言うほかはない。
2 梶谷鑑定は、本件二輪車と美海の転落状況を前記三2(二)のとおりと推定する。そのうち後部座席の同乗者がガードレールの角で背中を打ったという点は、前記一9認定のとおり、美海に肋骨骨折があったことと符合するかのようである。
しかしながら、この推定及び前記一7認定の事実によれば、後部座席同乗の美海は、およそ一〇メートル以上(甲八の二から推認できる。)飛ばされて別紙見取図①の位置に転落、転倒し、運転者である控訴人も同様に飛ばされて②の位置に転落、転倒し、両名は北側に寄り掛かるような状態で並び、その後、本件二輪車が前部を西側に向けて転落し、車体が両名の下半身の上に乗るようにして転倒したということになる。路上あるいは路肩付近でばらばらに離れた車体、美海、控訴人の三者が、右のようにまとまった位置にうまく着地、転倒したと考えることにはかなり無理があると言わざるを得ず、梶谷鑑定を詳しく検討しても、このような動きがあったことを納得させる記載は見当たらない。そして、後部座席の同乗者は、「しっかりつかまる手懸かりのないまま」前方に投げ出されるような姿勢で乗車しているというよりは、通常、運転者の胴体に手を回し、しがみつくように乗車している方が自然であり、特に衝突や転落の危険が生じた状況の下においては、手を離して飛ばされるような体勢よりも、運転者にしっかりとしがみつく体勢をとる方が自然と考えられる。また、美海に生じた肋骨骨折は、前記一9認定のとおり、平板状の鈍体が打撲的に作用した結果生じたものと推定されるのであって、前記司法解剖における鑑定の結果(甲一六)中に、ガードレールの角のような部分と背部とが衝突したことによって生じたと推認できるような損傷が存在する旨の記載はない。
3 梶谷鑑定は、前記三2の記載のほか、樋口鑑定が、本件二輪車が普通に直立して本件用水路に着水し、さらに前進して橋の下部の側壁に衝突したとの推定をしていることを批判し、水深が約一メートルの本件用水路内を前進して前方の側壁に衝突することは不自然であるとし、本件二輪車は、前輪がまず落ち始め、全体が前方に傾いた形で落下をし、前方回転のモーメントが与えられ、落下中もその回転運転はやまず、本件のような二メートル程度の落下では二輪車は倒立に近い状態で着水するはずであり、これに加えて右回転のモーメントも加わるので、前方右側へと回転しながら落下すると述べている。
しかしながら、本件用水路の水深が約一メートルであったという点については、前記一5の認定判断のとおり、これを採用することができない。また、梶谷鑑定による本件二輪車の落下態様によれば、底部が道路面から二メートル程度の本件用水路で、しかもその半分の一メートルほどの位置まで水が流れているという中を、本件二輪車は三六〇度回転して別紙見取図のとおりの位置に車両前部を進行方向に向けて転倒したということになるが、このような動きは想定し難い。
4 一方、樋口鑑定の前記結論は、前記一5ないし7、9認定の各事実におおむね符合する。すなわち、同鑑定が推定する本件二輪車の動きは、前記一5認定のタイヤ痕及びそれに続く痕跡の位置、控訴人らと車体の転倒位置などの事実と大きく矛盾するものではなく、同様に前記一9認定の肋骨骨折(後部座席の同乗者の衝突)、椎骨損傷・脳クモ膜下出血(強い前屈)等の原因を一応説明できるものであり、前記二3の岩沼警察署の判断は、前記一9認定の左大腿骨骨折を説明するものとして不自然ではなく、樋口鑑定とも矛盾しない。
五 以上を総合すると、本件二輪車を運転していたのは美海であると認めるのが相当であり、控訴人が運転していたのではないかとの疑念を抱かせるような事実を認めることはできない。
六 そうすると、美海には、控訴人が本件事故によって被った損害を賠償すべき義務が生じたところ、被控訴人らが美海の相続人であることは争いがないから、被控訴人らは、各二分の一の割合で右賠償義務を負担していることになる。そして、控訴人の前記争いのない傷害の内容、程度にかんがみると、その慰謝料は一〇〇〇万円を下らない。
七 以上によれば、控訴人の本訴請求は理由があるから、これを棄却した原判決を取り消すこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官安達敬 裁判官栗栖勲 裁判官若林辰繁)
《参考 原審判決》
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告らは原告に対し、各金五〇〇万円及びこれに対する昭和六三年五月三一日から支払い済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 本件事故
昭和六三年五月三〇日午後一〇時二〇分ころ、宮城県名取市高舘吉田字舘一二番地先道路(事故現場)において、渡辺美海(美海)の運転する自動二輪車(バイク)が道路脇用水路(用水路)に転落する交通事故(本件事故)が発生した。
2 責任
事故現場付近の道路は、美海の進行方向に向かって、やや左にカーブしており、本件事故当時、霧がかかって前方が見えにくかったのであるから、美海は、制限速度を守り、前方を注視し、ハンドル操作を的確になすべき注意義務があった。美海は、これら注意義務を怠った過失により本件事故を発生させたので、本件事故により原告が被った損害を賠償する責任がある。
3 損害
バイクの後部座席に同乗中の原告は、本件事故により、脳挫傷等の傷害を受け、常に介護を要する後遺障害を負った。これら傷害および後遺障害による原告の慰謝料は二五〇〇万円を下らない。
4 相続
美海は本件事故により死亡したが、美海の両親である被告らは、法定相続分により美海の債務を二分の一ずつ共同相続した。
5 よって原告は、被告らに対し、不法行為に基づき、損害賠償金の内金各五〇〇万円およびその遅延損害金の支払いを求める。
二 被告らの主張
本件事故当時、バイクを運転していたのは原告であり、美海は、バイクの後部座席に同乗していたのであるから、本件事故について責任を負わない。
第三 当裁判所の判断
一 バイクを運転していたのが美海であったか、原告であったかの点を除くと、本件事故が発生した事実に争いはない。
二 そこで、バイクの運転者が、美海と原告(以下「両名」という)のどちらであったのかについて、検討する。
1 本件事故直後の両名の転倒位置について
(1) 原告は、本件事故発生直後におけるバイク、美海、原告の転倒位置を根拠に、運転席付近に転倒していた美海が、バイクを運転しており、後部座席付近に転倒していた原告が、後部座席に同乗していたと主張する。
(2) 確かに、両名の転倒位置は、別紙交通事故現場見取図(見取図)記載のとおり、バイクが、見取図の「バイク転倒位置」に、前部を西側(路外逸脱前の進行方向)に向け、右側を下にして横倒しになり、運転席付近の見取図①点に美海、後部座席付近の見取図②点に原告が、いずれもバイクの北側(右側)に倒れていたと認められる(甲八の二、証人三浦、同鳥山)。また、原告はヘルメットを被っていたが、美海はヘルメットを被っていなかった事実、バイク転倒位置の西側直近には橋があり、この橋は、直径約一Mのヒューム管の回りを、コンクリートで固めて作られたものである事実も認められる(同証拠)。
(3) しかしながら、他方、美海の死因は肺損傷と椎骨損傷の競合であり、その肺損傷は、右第四〜九肋骨が連続して骨折するような、極めて強い外力が作用して形成されたこと、ヘルメットを着用していた原告も、脳挫傷、頭蓋底骨折、肺挫傷の傷害を負ったこと等、両名の重篤な受傷の程度(甲九、一〇、一六)を考慮すれば、両名が本件事故により、極めて強い外力を受けて受傷した事実が認められる。したがって、本件事故直前における両名の位置関係は、バイクの転落から転倒位置に至るまでの間に、このような強い外力により大きく変化した可能性が高く、本件事故直後の転倒位置から、事故前の位置関係を推認することは不可能である。すなわち、原告主張事実から、バイク運転者が美海であったと認定するには不充分である。
(4) この点につき原告は、後部座席の同乗者が、急ブレーキ操作で運転者の頭を乗り越えて、前方に跳ね飛ばされることは有り得ないと主張する。
(5) 確かに、平坦な道路における通常のブレーキ操作であれば、原告の主張は納得できるけれども、事故現場に長さ約三Mのブレーキ痕があり(甲八の二)、バイクの運転者が急ブレーキをかけたこと、バイクが道路から約二M下の用水路に転落したこと(甲八の二)、両名の受傷程度から推認されるバイクの走行速度に照らすと、本件においては、原告の主張は採用できない。
2 美海の胸腹部の傷害について
(1) 原告は、本件事故の際、美海の胸腹部に対し、水平に強い衝撃が加えられており、このことは、バイクを運転していた美海が、前方のコンクリート橋脚にバイクごと衝突し、そのハンドルおよび付近の構造物が美海の胸腹部を強打したことによると主張する。また、確かに、美海の解剖所見によれば、美海の胸腹部に、水平に強い衝撃が加えられたことが認められる(甲一六)。
(2) しかしながら、胸腹部の水平力により生じた、美海の腹腔臓器損傷は、その腹腔出血が少ないことから、美海の死因から除去されている(甲一六)。むしろ、美海の死因となった肺損傷は、背部右側に、右第四〜九肋骨が連続して骨折するような、極めて強い外力が作用して形成され、同じく死因となった椎骨損傷は、脊椎の過前屈によって生じ、その外力の作用部は、背部表皮剥脱等が考えられる(甲一六)ことに照らすと、美海の身体に対しては、その胸腹部よりむしろ背部右側に強い衝撃が加えられたと認められる。また、美海の受傷内容・程度に照らすと、美海は、様々な方向から外力を受け受傷したと認められる。したがって、美海の胸腹部に水平に強い衝撃が加えられたことから、美海がバイクを運転していたと認定するには不充分である。
(3) また原告は、原告の頭部に外傷はなく、原告がコンクリート橋脚に頭部を強打した事実はないとも主張するが、原告がヘルメットを着用しながら、脳挫傷、頭蓋底骨折の傷害を負った以上、原告の頭部に強い外力が作用したと認められるし、原告も美海の場合と同様、その受傷内容・程度に照らすと、様々な方向から外力を受け受傷したと認められるので、その頭部に外傷のないことから、原告が後部座席に同乗していたと認めるには不充分である。
3 本件事故前のバイク運転者について
(1) 原告は、本件事故直前にバイクを運転していたのが美海であると主張し、確かに、美海が、本件事故当日の午後九時三〇分ころ、名取駅前でバイクを運転しており、ニャン太郎ラーメン店(ラーメン店)にも、自らバイクを運転して行った事実(証人森)、本件事故直前の午後一〇時一〇分ころ、ラーメン店を出る際にも、美海がバイクのスイッチを入れた事実(証人我妻)が認められる。
(2) しかしながら、他方で、このバイクは原告の兄のバイクであり(甲一、四の四)、本件事故当日、原告が美海方に赴いた際も、原告がバイクを運転して出かけており(被告本人)、ラーメン店へ行った際にも、原告は、バイクの後部座席に森を同乗させて付近を走行し、その間、美海はラーメン店で二人が戻ってくるのを待っていたと認められる(証人森)。
(3) これら事実を総合すると、本件事故当日、両名はバイクの運転を交替しながら走行していたと認められるから、原告主張時点で美海がバイク運転していた事実から、本件事故当時も美海が運転者であったと認定するには不充分である。
4 カルテの記載について
(1) 原告は、両名のカルテに、美海がバイクを運転していた旨の記載があると主張し、確かに、南東北病院の原告のカルテには、原告がバイクの後部座席にいた旨の記載があり(甲九、一〇)、大山外科医院の美海のカルテには、美海がバイクを運転していた旨の記載がある(甲一五の一)。また、これらの記載が、一般に、医師の単なる憶測によってなされうるものではないことも、原告主張のとおりである。
(2) しかしながら、証人三浦は、両名を搬送した救急隊員が、これら病院の医師や看護婦に対し、バイクの運転者が誰であったか話したことはないと証言しており、また、南東北病院が調査嘱託に対し、右カルテ記載の「根拠は、搬入した救急隊員からだと思われますが、わかりません。」と回答していることを併せ考慮すると、結局、右カルテの記載がどのような根拠に基づくのか全く不明であって、その記載から、運転者が美海であったと認定するには不充分である。
5 美海の左大腿骨骨折について
(1) 原告は、本件事故の際、路面に左足を強く擦過した美海が運転席に乗車していたと主張し、また、一般的には、原告主張のように、バイクの運転者は、後部座席の同乗者に比べ、乗車状態で容易に左足が着地すると考えられる。
(2) 確かに、美海の遺体には、左大腿骨骨折が認められ、同骨折は、この部位に外部から直接外力が加わったものではなく、間接的力で骨折したものである(甲一六)。また、証人我妻は、バイクが路外に逸脱した場所に、美海の左靴底が強く擦過した痕跡が見られ、同人の靴にも、このように擦過した痕跡が認められたと証言し、更に、同証人は、瞬間的に美海の左足が路上に残り、その身体はバイク車体とともに用水路に転落したため、無理な力が左足にかかり、骨折したものであるとも証言する。
(3) しかしながら、他方、本件事故の実況見分調書には、右証言内容に沿った靴の擦過した痕跡の記載がない(甲八の二)こと、同証人は、本件事故直後に事故現場を見分しておらず、数日後に事故現場に赴いた際にも、靴の擦過痕について新たに調書を作成していない(証人我妻)こと、事故現場付近は、以前から交通事故多発場所で、道路上には数多くの線条痕が残っていること(同証人)が認められる。また、美海の左大腿骨骨折は間接骨折であるけれども、このことは、本件事故の際、美海の体位が複雑になるような外力が作用したことを意味するに過ぎず(甲一六)、間接骨折であることから直ちに、右証言に沿う骨折態様を認定することはできない。
(4) したがって、これらの事実を併せ考慮するならば、右我妻証言と甲一六号証から、美海が路面に左足を擦過した事実を認めるには不充分である。
三 以上のとおり、前項の原告主張事実は、証拠により認定できないか、あるいは、バイクの運転者が美海であったと認定するには不充分であって、その他の全証拠を総合しても、本件事故の際、バイクを運転していたのが美海であったのか原告であったのか、確定することができない。
四 したがって、原告の本件請求は、請求原因について証明がないので、これを棄却する。
仙台地方裁判所第三民事部
裁判官長沢幸雄